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Vol.4:望月 康成氏

矢富勇毅選手が、磐田市で活躍する様々な方々をお迎えしてお話をするコーナーです。

矢富笑店 Vol.4:望月 康成氏

望月 康成 もちづき やすなり

1972年静岡県生まれ。黄金時代の清水商業高サッカー部時代を経験し、卒業後は専門学校を経て同校のトレーナーとして活躍。2004年にヤマハ発動機ジュビロのトレーナーに就任。2005年はコンディショニンググループリーダーとしてチームに貢献した。
2006年に退団し、浜松市の株式会社週刊テレビ社に入社。現在は同社の統括本部部長として忙しい日々を送る。
家族は妻と二男。

矢富笑店初の初対面対談!

矢富●はじめまして。矢富勇毅です。よろしくお願いします。

望月●望月です。よろしくお願いします。
いやぁ、緊張しますよね。僕が在籍していたのが2004年からの2シーズン、矢富さんとは重なっていないので。
でも、大学時代から有名でしたから、僕は知っていますよ。まさか、あの早稲田の矢富がヤマハに入るとは、本当にびっくりしました。

矢富●いやぁ、嬉しいです。
今日は、将来について考えるというテーマでお願いします。脱線ばかりかもしれませんけれど(笑)。

初の初対面対談で緊張気味?

2004年度のヤマハ発動機ジュビロ

矢富●望月さんがいた頃のヤマハは過去最高のトップリーグ準優勝、マイクロソフトカップ(当時のプレーオフトーナメント名)準優勝の強い時代ですよね?

望月●はい、いきなりヤマハに入ることになって、不安だらけでした。
元々、清水商業でサッカーをやってきたので、サッカーについてなら知識や知っている関係者もいるのですが、ラグビーはルールもわからないし、ラグビー関係者で知っている人もいないし。そんな状況の自分で、果たして全国トップのチームを担当して良いのかと、本当に不安でした。

矢富●清水商業っていったら有名な高校サッカー部じゃないですか。

望月●黄金時代でした(笑)。
名波浩がいて、インターハイ2連覇、今のプリンスリーグ2連覇、本当に凄いときに在籍させてもらいました。

矢富●どうやって、チームに溶け込んだのですか?

望月●当時のヤマハ発動機ジュビロは良く言えば温かく、悪く言えば仲が良過ぎるかな?というチーム・・・
全体的な空気がフットボールのクラブという、ワイワイしているような雰囲気だなと思いました。だから、僕を受け入れてくれ、2004年に大量入団した亮さん(山村選手)やタツ(大田尾選手)らの大物学生選手も、すんなりチームに溶け込めたと思います。

矢富●そうですね、僕も社会人チームに入る前は、もっと厳しい雰囲気のチームだと思って入ったのですが、入ったら、みんな優しくて(笑)。高木さん(重保、現役選手)とか。

トレーナーは見ていた!

矢富●チームにいるとはいえ、メディカルって、プレーヤーじゃないから、強かった2004年度のチームを冷静に望月さんは見ておられたんじゃないですかね?

望月●当時は関西リーグ制覇のメンバーが残っていて、勝又さん(貴光、ヤマハ発動機ジュビロ公式戦114試合出場の記録保持者)とか、中林さん(正一、現在は立命館大コーチ)とか、村田さん(亙、現在は7人制日本代表監督)、久保さん(晃一、元日本代表)がキャプテンで、澤田さん(昇、現在は社業専念)に本間さん(俊治、現在は社業専念)ら、ベテランが多くいたのに加えて、そこに若手の亮さん(山村選手)やカジ(梶村選手)ら新戦力が大量に入ってきて、チーム内の競争が激しかった。
ベテランと若手のお互いが刺激しあうような雰囲気がありました。

ベテランと新人が競い合った

矢富●そのときのチームの雰囲気はどうでしたか?

望月●早稲田の黄金時代に矢富さんもいたから、わかると思うけれど、何か、選手全員に自信があった感じがしましたね。

矢富●自信、わかる気がします。自分たちのラグビーに対する自信は大切ですね。

望月●先に言った、ベテランと若手の融合について言えば、印象的だったのは亮さん。
あの山村選手ですら、シーズン直前まではレギュラーに入るのかどうか微妙なくらい競争が激しくて、2004年の開幕戦直前になって、やっとレギュラーのポジションを得た。
サントリーとの開幕戦(於:秩父宮ラグビー場)で後半のラストに、亮さんがスクラムを押して、もちろん、亮さんだけはないですけれど、その一員として亮さんもいて、サントリーボールのスクラムを奪って、そこから出たボールをレオン(マクドナルド選手、現在は近鉄ライナーズ)からトミー(冨岡耕児選手、現在はNTTドコモ関西)に渡ってトライ。あの勝利はみんなが自信をつけた勝利となった気がします。

その後の試合は、スクラムも強いし、取られても慌てない。プレーオフトーナメントではクボタに26点差つけられたのを、後半シャットアウトして逆転勝ち(1回戦:38-33)!本当に自信が漲っていたチームでした。

サントリー戦の冨岡選手のトライ

26点差をひっくり返したクボタ戦

望月さんを惹きつけたもの

矢富●まったくラグビーについて知らなかったわけですよね?
ラグビーってどんなスポーツだと思っていました?

望月●いやぁ、凄いスポーツだなと思いました。
だって、試合が終わって、もう立っていられない、ウォームダウンどころではないくらい、その場で倒れてしまう・・・こんな凄まじいスポーツは他に無いと思います。そこに惹かれましたね。
出し切るスポーツ、というのが僕のラグビーの印象です。

矢富●はまりました?

望月●それははまりましたよ。もちろん、トレーナーの時は、そんな余裕はありませんでした。
とにかく怪我した選手を早く復帰させたい、どうやって回復させるのが一番なのか、頭が狂うほど考えて考えての毎日でしたから(笑)。

今は、家族とヤマハスタジアムで観戦するのが本当に家族のたのしみとなっています。
だから、ヤマハスタジアムのトップリーグ試合数が減ったのはショック(笑)。

転職について

矢富●そんなスポーツどっぷりだった望月さんが転職したのは、どうしてですか?

望月●この質問は・・・この話を引き受けた時に必ず来るだろうなぁと(笑)。簡単に言えば、家庭の事情です。
でも、自分でも全く、いや一番向いていないサラリーマンの世界に入るなんて、想像もしていませんでした。

矢富●全く違う世界に行くって、不安でした?

望月●不安はありましたよ。ただ、ヤマハでの2年間の経験は僕にとって大きな心の支えなんですよ。
その支えがあるから、今の仕事でどんなに辛いことや、酷いことを言われても耐えられます。

矢富●支えになるような、何か大きな出来事があったのですか?

望月●西村弥さんというウイングの選手がいました。練習中に大きな怪我をして、ドクターへリが大久保グラウンドに着陸して、搬送したほど。
それからリハビリ生活が始まるのですが、辛いことや怒り、イライラすることもあったと思うのですが、全く周りに見せなかった。この人を見て、こんなに強い人がいるのかと。
西村さんの生き方を見て、あの時の西村さんに比べれば、今の自分の困難など、小さなものだと思えるようになりましたね。

現在の望月氏

プロラグビー選手という仕事

望月●逆に質問していいですか?矢富さんが学生時代に考えていたプロラグビー選手ってどんな姿でした?

矢富●プロラグビー選手という道ができたのは僕が大学2年の時だったと思います。その頃は漠然と、ラグビーをするのが仕事というくらいにしか想像できませんでした。
大学3,4年になって、段々とプロラグビー選手とは何か、具体的に見えてきました。

望月●怪我をしたら終わりというリスクは考えなかったのですか?

矢富●プロというチャンスが自分にはあったので、とりあえずやってみよう!と。アカンかったら、しょうがないなぁ、というくらいの気持ちでプロラグビー選手の道を選びました。
家業があるわけではないので、親は心配していたと思いますが、親も『できるところまで、やってみたら』と言ってくれ、この後押しも大きかったですね。

望月●実際にプロ選手となってみて、どうでした?

矢富●今振り返ると、入団したての頃は、果たしてプロと言えたのか疑問です。
入団した年はワールドカップ(2007年フランス大会)があって、すぐにジャパンに召集されて、ワールドカップに行って、初めてと言っていいくらいの怪我をして・・・。
帰国して、すぐにヤマハの海外合宿に参加したのですが、怪我をしていたので、現地での練習試合でボールボーイをやっていたら、凄い大雨の試合で、それで風邪を引いちゃって・・・。
他のみんなに風邪が移ってはいけないので、ホテルの部屋から外出禁止。俺は何しにきてんねん!とホンマ、自分に腹がたって。

望月●途中から入団したような感じですね。メディカルの立場から見ると、出たり入ったりする選手の対応は難しいんですよね。
治しきってから合流してよ、って思ったことが何度もありました。

矢富●そうなんですよ、治しきって参加する勇気!入団して3年目の今年になってやっとでました。
今年の夏合宿でも最終戦で怪我をして、今までの自分だったら、開幕戦に無理をしてでも出場していたと思います。

望月●その治すための勇気が大切ですよね。僕の持論ですが、選手には『無理はしても、無茶はしないで』(笑)。
選手は試合に出てなんぼですから、無理して出場しようとします。それが普通です。でも、無茶だけはしてほしくありません。
選手たちには家族もいるわけですから。とにかく自分を大切にしてほしいですね。

矢富●プロはパフォーマンスが全て。良いプレーができない時に、動けないのにピッチに立って、チームに迷惑をかけるほうがプロとしては失格ではないかと、考えられるようになりました。
それまではプロなんだから、とにかく結果、結果!と慌てて自分を追い詰めているようなところがあって、それでまた怪我を悪化させてしまったりして。

やはりラグビー談義で盛上がり

プロと言えば

望月●プロのラグビー選手といえば、真っ先に頭に浮かぶのは村田さん。

矢富●僕も一緒です。村田さんです。2シーズン一緒でした。
同じポジションでライバル関係だったのですが、アドバイスも時折下さって、すごく影響を受けました。

望月●40歳まで続けられたのは村田さんの自分の体に対する意識の高さ。自分の肉体が商売道具だということを最も理解していた人だと思います。

矢富●亮さんもプロですね。ストイック。

望月●意識でいえば、勝又さんもプロでした。
自分の体をあれほど痛めつけながらも、試合になると猛然とプレーする。あのアドレナリンの出し方は、半端じゃない。プロでしたね。
それで次の日も職場に仕事に朝早くから出勤する姿も素晴らしかったですね。

ヤマハラグビーの鉄人・勝又氏

矢富選手、厨房に立つ?

望月●将来は何か考えは?

矢富●やはり、ベースにはラグビーを考えています。ラグビーを始めた中学生の頃から、いつかはラグビーの指導者になりたいと思っていました。
中学も高校も大学も社会人になってからも、出会ってきた監督は全員が、ラグビーを好きにさせ続けてくれた人たちです。ラグビーが嫌いになったことがないんですよ。そういう監督に、いつかは自分もなりたい。
でも、ちょっとラグビー以外の世界ものぞいてみたい気もします(笑)。

望月●矢富さんはラグビーをやってきている人だから、どの世界に行っても成功しますよ。ラグビーの人のつながりって強いじゃないですか。
世界のどこへ行ってもラグビー選手は人脈が築けるのが羨ましいです。

矢富●僕、食べることが大好きなんですよ。一回、料理人の修行をしてみたいなぁ(笑)。

望月●何料理ですか?

矢富●イタリアン!ところで、毎回ゲストに伺っているのですが、望月さんから見た僕はどんな人間ですか?

望月●非常に礼儀正しいですよね。それから、スクラムハーフの人って明るい人が多い気がします。矢富さんも明るいですよね。

矢富●僕の風貌がヤンチャに見える方が多くて・・・特に高木さんから言われます(笑)

望月●ははは(笑)明るいスポーツ選手って人の輪が広がりますから、いいじゃないですか、暗いと言われるよりは。
でも、矢富さんはキチンと自分を見つめることが出来る人ですね。怪我の話を聞いて、自分を客観的に見て、メディカルの意見を聞き入れて、一つ一つ階段を上って戻ってきた強さを感じました。

矢富●今日は貴重なお話とお時間、有難うございました。

望月●12月のヤマハスタジアムでの試合、応援に行きますね。

再会を誓って記念撮影

対談を終えて

矢富笑店初の初対面対談でしたが、すごく新鮮でした。楽しかったです。
聞くこと全てが新鮮で、対談を終えてから、自分が成長したなぁと思えてきました(笑)。
知らない人と会って話すって、実はすごいパワーがいるんですよね。

でも、新しい知識が入り、ホンマに良かったと思っています。それから、前回の対談への感想メール、有難うございました。
スタンドで「明石コール」が起きることを期待しています(笑)。今後とも何卒宜しくお願いします。

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