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Vol.3:明石 渡海男トレーナー

矢富勇毅選手が、磐田市で活躍する様々な方々をお迎えしてお話をするコーナーです。

矢富笑店 Vol.3:明石 渡海男トレーナー

矢富笑店の第3弾は再び舞台を磐田に戻しての収録に。気がつけばトップリーグも開幕。そこで矢富選手が選んだのは近場も近場、トレーナーの明石渡海男さん。近すぎて知らなかったことが多い明石さんの素顔に矢富選手が迫ります。

明石 渡海男 あかし とみお

昭和53年秋田県生まれ。
小学5年生からラグビーを始め、名門の秋田工業高で活躍。国際武道大学ではキャプテンを務めながら学生トレーナーとしてもチームに貢献した。2006年度よりヤマハ発動機ジュビロのコンディションググループの一員として入団。モットーは「人生楽しく」。家族は妻と長女。

明石さんって誰よ

矢富●明石さん、目立つんですよね!スタジアムで!?誰?グラウンドサイドに立つ、あの大きくてスキンヘッドの男は?って、きっとヤマハスタジアムに試合に見に来たお客さんは思っているはず。
そこで、今日は明石さんについて教えてもらいましょう。明石さん、ホンマは何してんの?

明石●みなさん、どうも!明石です。アスレティックトレーナーです。
いきなり、真面目な話でいいの?

矢富●いきましょう。聞きたい、真面目な明石さんの話を。

明石●ヤマハでは一番大きなウエイトは試合時のメディカルサポートと、普段のリハビリの2つが主な仕事内容です。この2つを中心に仕事を行っています。

矢富●僕が入団してから、ずっとお世話になりまくっています。
それにしても、試合時の明石さんは大変ですよね?何が一番大変ですか?

明石●試合での一番大変なことは、けが人が試合中にでるでしょ?その瞬間に選手に駆けつけて、できるだけ短い時間に、選手がプレー続行できるのか、できないかを判断することが一つ。
そして、短い時間しかないから、その時間内に、的確にコーチ陣にその様子を伝えること。
すべて時間との勝負です。これが大変。

矢富●読者の皆さん、明石さんがつけているインカムは、そのために着けているのです。

明石●時々、コーチからの戦術についての指示も伝えるので、これも大変。間違ったことを伝えたらいけないので(笑)

矢富●コンタクトレンズの交換もあるでしょ?ある意味、戦いですよね?

明石●その通り!僕らも戦っている気分です。15人プラスワン、って感じ(笑)

矢富選手のケアをする明石トレーナー

実は秋田出身だった

矢富●ラグビーやっていたんですよね?

明石●出身は秋田県。小5からラグビー。

矢富●えっ!小学校からですか!僕だって中学からですよ。

明石●小4までサッカーでキーパー。つまらなくなって、小5から秋田エコーというラグビースクールに入ってラグビーを始めたのがきっかけ。中学校まで秋田エコーで続けて、高校からは…

矢富●秋田工業!高校ラグビー界の名門中の名門ですよ!

明石●ロックだったんだけど、レギュラーには元トヨタの平塚がいて、リザーブクラスだった。それで、花園予選が終わって、リザーブを決めるセレクションマッチを行うことになって、忘れもしない12月1日の雪の日に、秋田市役所と練習試合。

矢富●なんでまた雪の日?しかも相手は大人じゃないですか!秋田、凄すぎ!

明石●その試合で膝の靱帯を切って、アウト。花園出場どころの怪我ではない大怪我。でも、国際武道大学への進学が決まっていたので、まずは大学へ入学。
しかも、新入部員でいきなりリハビリ組み(笑)

矢富●ある意味、すごい新人です。ホンマもんや!って感じがする。

選手時代は怪我に泣かされた

トレーナーになるまで

明石●大学で宮崎善幸さんと出会い、はじめてトレーナーという仕事、そういう世界があることを知った。

矢富●宮崎さん、知っています。同じ遠征はないけれど、U19とか高校日本代表など担当されている方ですよね。

明石●そう。大きな体でね(笑)。
宮崎さんの指導を受けながら、影響を随分と受けた。それから、大学3年でリハビリが終わって、ようやくレギュラーになれたのに、今度は逆の膝の靱帯を切ってしまって。

矢富●その時のポジションは?

明石●1番プロップ!
大学3年になるとゼミを選択するでしょ?また怪我をしてしまったから、学生トレーナーのようなことをしながら、ラグビー部で活動を続けた。
教員志望でもあったので、ゼミの選択は迷った。それでも、ラグビー部の選手にトレーニングの方法をアドバイスしていくうちに、トレーナーへの興味が湧いてきて、その方向のゼミを選んだ。
そして卒業後に、そのゼミの先生から、整形外科のクリニックを紹介してもらい、そこで午前中はアルバイトして、夕方から大学で勉強という生活を始め、日本体育協会のアスレティックトレーナーの試験に合格して、それを機に本格的にトレーナーの道で生きていこうと決めたんだ。

仕事中の明石トレーナー

勇毅、裏方さんの気持ちを知る

矢富●僕は早稲田大学の時は選手としてプレーに集中できたから、わからないのだけど、明石さんは選手をやりながら、トレーナーをやっていたわけでしょ?どんな気持ちで学生時代を過ごしていたのか、想像がつかない。
本当はプレーに集中したいのに、怪我によってできない苦しみがあったのでは?

明石●選手としても活躍したかったし、トレーナーとしてチームメイトたちを怪我から復帰させたいとも考えていて、その時は一生懸命だから、まったく苦しいとは思わなかった。しかも、大学4年の時はキャプテンだった。

矢富●明石さん、かけもちしすぎ!

明石●仲間がいいメンバーでね。一人で抱え込むことがなかった。だから、チームメイトは本当に大切!

矢富●学生とはいえ、トレーナーって練習の前から準備があって、練習が終わってからも治療があったりで、選手以上に大変だったと思うんやけど・・・

明石●それも大変とは思わなかった。
トレーナーの人によっては、選手から「治してくれて有難う」と言われるのが最大のねぎらいと言う人もいると思うけれど、俺にとっては「有難う」も嬉しいけれど、それよりも、担当した選手が100%、活き活きとプレーしているのを見るのが何よりも嬉しい。

矢富●それが、やりがい?

明石●そう。今年だったら、馨(松下選手)。あの怪我は大怪我も大怪我。それが、シーズンに間に合った。これは嬉しかったね。

矢富●人のために、が仕事。僕には無理っス。尊敬します。

明石●そんなことはないよ、矢富だって家族のために頑張っているじゃん。

矢富●娘が生まれました。名前は「にこ」ちゃんです。娘のため、妻のためにって、確かに思います。

よく似てる?

ところで矢富ってどんな人?

矢富●これ、対談する人全員に聞きたいことなんですけど、僕って、どんな奴ですか?

明石●結構、ガチャガチャしているように見えて、実は、自分を客観的に見ることができる人。

矢富●話し方もガチャガチャ(笑)

明石●真面目に言うと、一歩引いて、自分を見ることができる選手。
矢富が早稲田の選手だった時から知っているけれど、あの頃から、自分が何をすれば良いのか、何をすれば治るのかを冷静に考えることができる選手だなと思っていた。
それから縁あって、お互いがヤマハで一緒になったわけだけど、入団してきた年にすぐにワールドカップ(2007年フランス大会)に選ばれたので、いきなり帰ってきてヤマハに合流した時は、足首を大怪我していた。

矢富●そうでした。あの年は入団後、すぐに遠征と本大会で。
シーズンに入って、やっとヤマハに入った感じでした。そして、いきなり足首のリハビリ。そこから明石さんに世話になりっぱなし・・・

明石●矢富はONとOFFの切り替えができる。
ONの時はラグビーに集中し、リハビリの時はいかに治すかに集中する。そして、OFFになるとガチャガチャ(笑)。

矢富●でも、ホンマ、明石さんにはお世話になりました。何が明石さんが良いって、明るいところ。
ホンマは手術する前は“元に戻るんやろうか、戻れなかったら、どうなるんやろう”ってメッチャ不安になっていたのですが、明石さんが、「大丈夫、戻るよ」と言ってくれた明るさ!あれに救われました。

明石●それから、矢富はね、言葉に力がある。試合中の言葉に人を惹きつけるものがある。
もちろん、スクラムハーフというポジションだから、FWがBKの情報を欲しがり、BKがFWの気持ちを知りたがり、真ん中にいるスクラムハーフの言葉を待っているのかもしれないけれど、トライを取られた後の円陣にいると、みんなが矢富の言葉を待っている。15人の中に入って、リードできる人だと思う。

矢富●いや、嬉しい(笑)。でも、ホンマ、明石さんの言うとおり、スクラムハーフだからです。

明石●いや、それもあるけれど、リードして行ってほしいなぁ。

僕ってどんな奴?

明石さんの夢

矢富●そろそろ時間なので、明石さんの夢を聞いてみましょか?トレーナーとしての目標は?

明石●選手としては日本一を経験していなんだよね。だから、日本一のチームのトレーナーかな?

矢富●そうなるように頑張りますよ。では、人生の目標は?

明石●いつまでも一線でスポーツチームのトレーナーはできない。いつかはグラウンドに立てなくなる年齢がやってくる。もちろん、体が健康で、この仕事で食べていける環境が続くならば、できる限り、現場にはいたい。でも、いつかは引退する時期が必ずくる。
そうなった時に、いままでラグビーを通じて経験してきた、みんなとのコミュニケーションを継続できるような仕事に就きたい。たとえば、ラグビー好きが集まる居酒屋とか(笑)

矢富●いい!それ、カッコいい!

明石●その店で、プレーに悩む学生にアドバイスしたり、スポーツに関わりたいという若い人に、選手だけではなく、ドクターやトレーナー、事務系の裏方の仕事など、スポーツの世界は選手としてだけではないよ、というアドバイスなんかしたりね。
やっぱり、今、俺が頑張っているのは、次の世代の人に、ああ、こういう世界で活躍できるフィールドがあるんだな、ってことを知ってもらいたいという気持ちもある。

矢富●それで、スタジアムで目立つように体を大きくして、スキンヘッドにしているわけか(笑)。
でも、応援されるトレーナーを目指すのもいいかも?スタジアムで選手の名前ではなくて、観客席から“アカシー!頑張れ!”とアカシコール、聞きたい(笑)

明石●いや、この前の秩父宮ラグビー場で、観客席から低~い低~い男の声で“アカシー!”って地獄の底からのような声が聞こえて・・・試合中、恐る恐る振り返ると・・・勝又さん(元ヤマハ発動機ジュビロ・公式戦100試合を達成した鉄人ロック)だった(笑)

元気にプレーする矢富選手

矢富選手の感想

いやぁ、明石さんについて、知らないことばかり!
小学校からラグビーを始めて、両膝をラグビーで切っているトレーナーって、そうは日本にいないでしょう?だからこそ、ラグビーへの考え方や、リハビリの考え方も僕と共通している点があって、僕とは相性が良いのかも?

選手として活躍できる僕はホンマ幸せやと思いますし、明石さんや井澤さん(ヤマハ発動機ジュビロ・コンディショニングリーダー)を喜ばせるためにも、日本一のタイトルを狙おうと思います。

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