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ラグビーヘッドライン

2021年5月16日(日) 【退団選手コメント vol.5 粟田 祥平選手】

【退団選手コメント vol.5 粟田 祥平選手】 

◎ヤマハ発動機ジュビロでの現役生活を振り返って

私は、大学では公式戦に出場するということも、活躍も全くできないままにBKとしてヤマハ発動機ジュビロに入団しました。当時のことを思い出すと、30歳まで、しかもFWでラグビーを続けることができるとは想像もしていませんでした。
サイズもあったので五郎丸選手の後継者ぐらいの期待もあったかと思うのですが、全く活躍できず、4年目に当時監督だった清宮さんにFWに転向を打診されました。戸惑いもありましたが、これまでのラグビー人生を一旦リセットして、ラストチャンスだと思ってチャレンジしました。
はじめはFWとしてもどうしようもないレベルだったのですが、特に斉田さん(OB)が徹底的にサポートしてくれたことをはじめ、コーチ、チームメイトの支えがあって、やっていくことができました。
スクラムとかモールとかマジで嫌でした(笑)が、段々とFW独特の一体感が本当に楽しくなっていきました。BK時代のスピードを活かしたプレースタイルなど少しずつ自分の強みも見つけ、この2シーズンは公式戦に出場する機会も得て、ラインアウトのリーダーを任されるまでになりました。
ヤマハにきてラグビー選手として本当に成長ができました。またFWにチャレンジしたことで、メンタル的にもフィジカルも強くなり、自分に自信が持てるようになりました。チームメイトとの絆も深く、地域や会社の方々の支えも熱いチームで、ヤマハでなければここまでラグビーを続けることができなかったと思いますし、今の自分はいなかったと思うほど充実した現役生活でした。


◎ヤマハ発動機ジュビロでのベストゲーム

FWになってからの方が充実していた現役生活ですが、一番印象に残っているのは、まだBKだった入団2年目の2015年度シーズン、最後のLIXIL CUP 3位決定戦の神戸製鋼戦です。
ヤマハに入って2試合目となる公式戦で、後半終盤逆転され、追いかける展開の中、大田尾さんのキックパスを受けて決勝トライを決めました。勝利の喜びをチームメイトと分かち合い、あの満員の秩父宮が沸いた雰囲気は格別で今でも鮮明に覚えています。

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◎最後に

ヤマハ発動機ジュビロは自分自身を成長させてくれたかけがえのない場所です。
技術というよりは、組織の中で自分の役割を全うする大切さ、良い組織の作り方、目標に向かっての取り組み方など本当に多くのことを学びました。これからの新しいチャレンジの中でもしっかり発揮していきたいと思います。
ヤマハの皆にはいよいよ新リーグになり、いろんな変化があると思いますが、そこを楽しみながら引き続き日本一のファミリーを作り、日本一を目指してほしいです。一ラグビーファンとして応援し続けます。
ファンの皆様、7年間応援ありがとうございました。入団してから、なかなかチームに貢献できない時間もありましたが、FWに転向し、成長していく中で、たくさんの声をかけてもらい本当に嬉しく、励みになりました。ファンの皆様のおかげでここまで続けることができました。ヤマハでの経験を糧に、次のステージでも頑張ります。

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